| 監 督 |
北浦 嗣巳 |
| 脚 本 |
長谷川 圭一、川上
英幸 |
| 特技監督 |
北浦 嗣巳 |
| 怪 獣 |
サンドロス、スコーピス、レイジャ |
率直な感想を言わせてもらえば、何が言いたいの?って感じで終わっちゃいました。待てども待てどもコスモスは出てきませんし、ようやく出てきたと思えば、あっという間にサンドロスを倒して終わり。子どもたちにとっても、面白くない作品だったんじゃないかなぁ。だって、ブルーエリアが舞台になっていた中盤あたり、後ろの子どもたちがうるさいのなんの。そりゃ、あんな意味不明な会話を長々とやられたら、飽きちゃうのも仕方ないところです。そういう意味で言うと、この作品、興行的にはどうか知りませんが、デキとしては成功したとはいえないんじゃないかな・・・と思います。
んじゃ、まずはキャラクター設定からいきましょう。シャウ(斉藤麻衣)は、あんなもんでいいとは思うんですが、問題はジーン(松尾政寿)。描き方が中途半端です。ジーンは、人間に対して不信感を持ちつつも、マリ(西村美保)との対話を通して最後は人間に協力していくという、オーソドックスな描き方。展開としては王道ですから、これはこれでいいんですが、なぜ人間に対して不信感を持っているのかってあたりの描き方が足りなかったような気がします。人間にひどい目にあわされたのか、それともブルーエリアから人間達の生活を見て信じるに値しないと思ったのか・・・多分後者だと思うんですが、それならそれで、もっと人間を罵るなりして人間に対する憎しみを見せてもらったほうがよかったなと思います。憎しみが深い分、悩みも大きくなります。その大きな悩みを乗り越えた上で人間に協力するという選択肢を選んでもらえば、ジーンがもっと大きな役割を果たせたはずです。
その、協力しようと思った理由も説明不足かなぁ。彼が人間に協力しようと思ったのは何ででしょう。協力を決める直前、ジーンの回想シーンにマリが出てきてました。そうなると理由はただ一つ、「マリを悲しませたくなかったから」になるんですね。ところが、これだとシャウの「私もジーンもこの星が美しいと思った」ってのが邪魔になっちゃうんです。ついでに言うとサブタイトルである「THE
BLUE PLANET」ってのも邪魔。このセリフやタイトルから考えると、協力しようと決めた理由が、「美しい地球を守りたかった」ってことになっちゃう。どちらも理由だって言われればそうなのかもしれません。でも、大きな悩みを乗り越えるときって、たった一つの理由があればいいんじゃないでしょうか。そうなると、「地球を守る」なんてたいそうなことではなく、「大事な人を悲しませたくない」ってほうがふさわしいと思います。ともあれ、せっかくジーンを悩ませたんですから、その悩みを乗り越えるところをもう少ししっかりと描いてほしかったなぁ。
んじゃ、そのジーンの相手役のマリ。重要な役割を与えたつもりなんでしょうが、冷静に見てみると全然重要じゃない。第1作では、バルタンにとり憑かれることで、バルタンと人間の橋渡しをしていました。今回も、確かにシャウたちとムサシ(杉浦太陽)たちとの橋渡しをしてはいますが、よくよく考えるとムサシをブルーエリアの入り口まで連れて行っただけ。あとの話はムサシとシャウで展開していますから、マリなんて出番がほとんどなくなってます。もちろん、ジーンの心を開いたっていう重要なポイントとなる人物ではあるんですが、それを示すのもジーンの回想シーンの一瞬だけ。たったあれだけじゃ、ジーンの中でマリがどれくらい大きな存在かってのは示せません。
マリがブルーエリアで何をしていたか、ジーンとの間にどういうことがあったのか、なんとなく説明はされていたようですが、ほとんど言葉による説明です。映画なんですから、言葉だけではなく実際に映像として見せないと、やはり見ているのほうの脳みそには残りません。大人ですらセリフだけじゃ脳みそに残らないセリフ並べてるんですから、子どもには何のことかわからないでしょう。メインターゲットが子どもである以上、大人の目の高さで作ったって面白い作品になるわけはないと思います。
つづいて、ムサシ。これが一番の問題なんです。主役は確かにムサシでしょう。でもねぇ、別にムサシが主役でなくてもいいんですよ。だって、ムサシとコスモスのつながりが薄すぎるんですもん。確かにジュランでムサシはコスモスに助けられました。でも、それだけ。これ以降は、まったくムサシとコスモスはつながっていません。最後ではムサシと同化してはいましたが、バルタンとの戦いのときのように同化しなくても戦えるはず。んま、強いてあげれば、輝石を持っていたってことくらいですよねぇ。これとて、輝石がなかったらコスモスが出てこれないっていうわけじゃありませんしねぇ。
このコスモスとムサシの関係だけじゃなく、作品全体を通して見ると、ムサシでないとできないことってのがほとんどないんですよね。ということで、主役のキャラ設定から間違っていたんじゃないかなぁと思っちゃうのです。
ってっかよー、宇宙船で行けるような距離にあるジュランまで来てるんなら、早く地球に来てくれよ、コスモスさん。
人間側の描き方も中途半端でしたねぇ。いくらシャウたちが見た目危害を加えそうにないといっても、やはり異星人。彼らを警戒する立場の人間もたくさんいるはず。それに彼らが地球にいるからスコーピオが襲ってくるって思っても不思議じゃないっていうのに、それを代弁するのは防衛軍のイヌガイ司令官(嶋田久作)ただ一人。これじゃ寂しすぎます。しかも、あっという間にジーン達へ協力要請することを決めてますし。もう少し人間側のシャウたちに対する警戒心を大きく描いてほしかったと思います。だって、人間側の警戒心が大きければ大きいほど、それに比例してジーンの人間に対する不信感を大きく見せることができますからね。そうすれば、ジーンの悩みももっと大きく表現できたんじゃないかと思うんです。
というよりさー、イヌガイ司令官の意見を押し込めたキノザキ(木之元亮)ってのは、SRCの副代表なんですってね。いつから防衛軍司令官よりSRCの副代表のほうが強くなったんだろう・・・うーん、SRCってどんどん恐ろしい組織になっていくな・・・。
というわけで、人物描写に関していえば、たくさんのキャラを作りすぎたがために、どれもこれも描く時間が足りなかったんじゃないかって気がしています。
さて、やっぱり特撮ですから、特撮戦闘シーンにツっこまないとねー。いやぁ、CG技術素晴らしいですね。CGで描かれたスコーピオやレイジャは、質感もそこそこにあってなかなかのもの。CGでしか表現できないスピード感も申し分ありません。ただ、CGのスピード感が高いがために、着ぐるみのほうのスピード感とギャップができてしまったのは残念なところ。でもま、ここらあたりはしょうがないんですかねぇ。
実写とコンピュータによるエフェクトとの合成もクオリティ高いです。実写の建物をエフェクトによって壊していく絵は素晴らしいの一言に尽きます。ところがその分ジオラマが少なかったのが残念ですね。特に北九州の街のジオラマを期待していたのですが、ほとんど実写との合成でした。そりゃ少しばかりジオラマは出てはいましたが、北九州市らしさが出たジオラマかといえば、そうでもない。せっかく北九州市まで行ってロケをしたんですから、北九州市ならではジオラマを作って壊してほしかったなぁ。
あぁ、そうそう、ここらあたりも中途半端なんですよね。なんというかなぁ、まるで北九州の街を大慌てで紹介しているみたいでした。特に、突然ムサシをスペースワールドに呼び出したシーンは、「何で突然スペースワールド?」って笑っちゃいました。そりゃま、北九州市にとって見れば、全国に「オラが街」を紹介するチャンスですから、目立った施設は紹介したいのはわかります。だったらもう少し作り手側が話をうまーく持っていってあげなきゃダメですし、目玉の施設なり建物なりくらいは、ジオラマくらい作ってあげなきゃダメでしょ。せっかく北九州市フィルムコミッションが撮影の便宜を図ってくれたんですからね。
中途半端なのは戦闘シーンもしかり。なんてったって戦闘時間が短すぎます。しかもピンチらしいピンチといえば、サンドロスが出てきたあたりだけ。その後はジャスティスが加勢にきて、あっという間にサンドロスを倒してしまいます。もっともサンドロスの煙幕の中がピンチといえばピンチですが、それもあまり緊張感が感じられない。あの作品の中でたったあれだけの戦闘シーンでは、見ている子ども達は満足しないでしょう。だって、私も満足してないもん。やっぱり一度はコスモスが瀕死の状態になるくらいまでボロボロにやられて、ムサシやマリ、シャウやジーンの勇気で復活するって形を取ってほしかったなぁって思っちゃうのです。
でも、そうなったら、ジャスティスは必要なくなるか?
大丈夫、シャウやジーンの思いが届いてジャスティスが駆けつけたってことにすればいいんです(笑)。
いろいろと言ってきましたが、やはり致命的なのは何もかも中途半端だったってことでしょうか。いろんな要素一つ一つをとってもそうなんですが、何よりも中途半端に感じたのは、この作品の対象年齢です。この作品、子ども向けなんだか大人向けなんだか全然わかりませんでした。
子ども達は、「コスモス頑張れ」って思いながら映画を観るんです。「コスモス頑張れ」って思う回数が多ければ多いほど、観終った後の充実感があるんです。それが、たったアレだけの活躍じゃ、散々待たされた後で、肩透かしを食らった感じになるんじゃないかなぁ。うーん、もしかすると「ムサシ頑張れ」って思って欲しかったのかもしれませんが、あのストーリーではそう思わせるのは無理でしょ。
その割に、違うコスモス出したり、ジャスティスっていうウルトラマン出したりしてごまかそうとしてるあたりがスポンサーの意向が見え隠れしてたりしてヤですねぇ。はっきり言わせてもらえば、そういう新しいキャラクターで勝負しないでストーリーで勝負しろよって感じです。
だったら大人が楽しめるか・・・っていったらそうでもないんです。だって、「ウルトラマンコスモス」のコンセプトから考えると、今回のストーリーは意味不明なんですもん。テーマすら見えてこない。「慈愛」を訴えているわけでも「怪獣との共存」を訴えてるわけでもない。だって、サンドロスに対しては鬼のように攻撃し、抹殺しているんですからね。人間と同じ形をし、地球に対して害を与えない異星人に対しては対話をしつつも、人間に対して攻撃的なサンドロスに対してはほとんど対話もせずに抹殺する・・・。「ウルトラマンコスモス」の慈愛ってのはいったいどこに行っちゃったんでしょうか。結局、異星人とも心の交流ができるという大人が喜びそうな部分と、ウルトラマンが怪獣を倒すという子供が喜びそうな部分を無理やりくっつけちゃったがために、客の対象年齢どころかテーマまでぼやけてしまっちゃったような気がするのです。
テーマを強いてあげるとすれば・・・「信じれば夢はきっと叶う」ってことなのかもしれませんが、サンドロスの野望ってのもサンドロスにとってみれば「夢」じゃないでしょうか(笑)。
結局、変に気取って子どもにも大人にも楽しんでもらおうなんて考えるからこんなことになるんです。「ウルトラマン」なんですから、まずは子供が楽しいと思うってのが一番重要なこと。大人なんて二の次でいいと思うんですが、欲張りすぎるといい結果にはなりません。第1作目では、子供を楽しませつつ、さりげなくいっしょに観にきた親御さんたちへのメッセージをちりばめていただけに、やはり残念に感じました。
その他、いろいろとツっこみたいところはたくさんあるんです。たとえばジーンが「地球の生命はこれ以上殺させない」とか何とかいいながらも、しっかりと地球の怪獣であるレイジャと合体して戦ってたりするのも変ですし、コスモスがサイパンの街を元通りにする(北九州の街はそのまんま!?)ってのも、ご都合主義っぽくてヤなところ。EYESなんかは、とりあえず出しとけーって感じの使い方ですし、チームSEAのほうは、出てくる必然性すら感じさせません。
何よりもジーンたちの夢である「生命を創り出す」ってのが私個人的な倫理観から外れているあたりもツっこみたい部分ですねぇ。とにかく、欲張りすぎて詰め込んじゃったがために、何もかも描ききれていなかったという印象しか残ってないのです。
第1作の「THE FIRST CONTACT」と比べちゃいけないのかもしれません。でも、二つの作品は同じ世界の出来事として描かれていますから、作り手側も比べられるのは承知の上でしょう。というわけで、「THE
FIRST CONTACT」と比べてみて決定的に違うところに気がつきました。
この「THE BLUE PLANET」、スクリーンから気迫が感じられないんです。この気迫っていうのは、ストーリーから出る気迫ではなくて、うーん、作り手側が感じたプレッシャーというかなぁ、そういうのがスクリーンを通して伝わってこないんです。第1作目を思い返してみると、「この作品がコケたら、ウルトラマンコスモスの企画自体がコケる」っていう緊張感がスクリーン全体に覆っていたような気がします。もちろん、作り手側としては今までの「ウルトラマンコスモス」の成功の上にあぐらをかいて作ったわけでないでしょう。でも、やっぱり第1作目のような緊張感、プレッシャーがスクリーンを通して伝わってこない分、作り手側のメッセージもわれわれに届かなかったような気がします。
うーん、かなり辛口のレポートになってしまいました。もしかすると多くのウルトラマンファンにとっては、納得しがたいレポートになってるかもしれません。でも、やはり「ウルトラマン」には「夢」を求めてしまいます。その夢を見させてくれたか・・・ってことになると、うーーーーーんってことになっちゃうんです。
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